いっきかすい てはグローブ
札幌新川そばの会では、生粉打ちでそばを打ちます。そば粉と水でそばを打ちます。生粉打ちでお湯を用いることもありますが、お湯も使わず水で打ちます。
この日も、美味しい蕎麦のために、そば粉を篩い終え、1回目の加水で250mlを加えました。
会長曰く、
「なぜ、水を半分しか入れないの?」
という問いです。
私は、
「なぜと言われても、そうするようにと教えてもらいましたが?」
と答えました。
会長は、
「一気に水を加えたほうが、混ざりやすいけど」
「やってごらん!」
私は、
「わかりました。」
と答えます。
1kgのそば粉に対して、500mlの水を用意していましたので、8割がた一気に水を加えました。そして、水回し開始です。
指先から、手の内側に水が付き、そば粉もくっ付いて、指先はそば粉のダマで膨れています。江戸流の教えでは、1回目の加水は目星の加水量の半分程度を加えるとなっていました。そして、水回しでは手に水が付かないように、ましてや手のひらに水とそば粉が付かないようにということでした。今の私の手はどうかというと、指先が粉だらけで、かろうじて手のひらはまだきれいです。指先のそばを取ろうと躍起になっています。一度にあんなにたくさんの水を加えれば、指先に水とそば粉が付いてどうしようもなくなるということが分かりました。
会長曰く、
「指先にそんなに付くのは、あなたが悪い。」
「手に付かないように、混ぜないと。」
「一気加水の方が、粉と水が混ざりやすいので、一気に水を加えなさい。」
私は、
「うまくいかないですね」
「またやってみます。」
と、結構素直に答えました。
しかし、水をたくさん加えて、手に付かないようにするにはどうするのか、一気加水が本当に水と粉が混ざりやすくなるのかという二つの点に、十分な理解はしていませんでした。私の指先は、そば粉で小さなグローブをしているようです。
ここでは、そば粉に水を加えて均一に混合する際に、水を少しずつ加えたほうが良いのか、一気に加えたほうが混合しやすいのかという問いについて考えて見ます。
一茶庵の片倉康雄さんは、一気加水を薦めています。水の加え方と所要時間について、一気に水を加え、1分で混ぜろと言います(1988 片倉康雄)。一茶庵のそば教室では、今でも一気加水でのそば打ちを教えているという情報(一茶庵手打ち蕎麦プロ教室・蕎麦打ち)がWebにあります。
ではなぜ一気加水が良いのかという知見を探してみると、「そば打ちを科学する」というテーマで、2つの報告に行きつきます。
一つは、第5回千葉県そば大学講座講演資料での発表資料(2009 熊田鴻)です。そば粉に水を混ぜることで、水がそば粉の澱粉を湿式粉砕していることを示しています。ここでは、そば粉への加水を一気に行う、多段階で行う、連続多段階で行う際の粉と水の混ざり方を比較検討したとあります。三つの加水方法での長所と短所が記載されていますが、その裏付けとなるデータの掲載は見当たりません。よって、これを以って一気加水が良いとはいえません。
二つ目の情報は、TOKYO蕎麦塾そば打ち教室での昭和産業(株)食品開発センター第一開発グループの清水吉さんの資料(そば打ちの技を科学する)がWebに掲載されています。一報目と同様に、加水による澱粉粒の湿式粉砕に関する顕微鏡図は掲載されています。ここでは、『加水はなるべく一度に一気に加水すること。そば粉の澱粉組成の塊を組成微粒子に分解するためには、水を粉全体に早く分散させなければならない。(引用文)』と記載されています。そば粉の澱粉組成の分解と水回しとの関係を示しています。しかし、その裏付けとなる電子顕微鏡図で、一気に加水した場合と、そうでない場合の比較検討結果は掲載されていないので確認できません。また、論文への投稿は無いようです。
このように、一気加水がよいという理由を科学的に証明した論文やその裏付けデータを明確に提示しているものは存在していないようです。どなたか、ご存知でしたらご教授いただけると幸いです。
堀金 彰(2004)は、十割そばにおける水回し工程の解析を行い、十割のそば粉と水との混合は、3分で終了していることを、水回しによる加水の浸透と、MRI測定と物性測定で証明しています。生粉打ちの水回しは3分で終了して、それ以降は加水の浸透と物性に変化が生じないということは、一気に水を加えなければ、水と粉は均一に混ざり合わないかもしれないということを示しています。3分でそば粉と水の混合が終了するのであれば、最初の加水でほとんどそば粉と水の混合は終了しているので、その後いくらかき混ぜても意味が無いことを示します。このような状態で、少しずつ加水していくことになれば混ぜ合わさったものに、水を加えて、再度混ぜ合わせるのに時間を要するということを繰り返すことになり、大変非効率的な作業になります。そば粉にストレスをかけない(うつかんがえる参照)ことが美味しいそばに繋がるという前提に立つと、これは善ろしくありません。本論文が示す加水の浸透とMRIと物性測定の経時的変化は大変興味深い内容です。
ここで、最初に触れた片倉康雄氏の経験に基づく記述を再検証してみます。ここでは次のように述べられています。
<引用>
加水を何度かに分けるのは、どうしてよくないのか。
それは、粉のひとつぶひとつぶに、平均に水がまわらないからよくないのである。水を余分に含んだところができる一方で、水のまわりの充分でないところもできてしまう。そればかりか、小さな塊をつぶしてみると、最後まで粉のままのところが残っている場合も少なくない。
何度かに分けて水を加えるとなれば(足し水の場合も同じことだが)、初回に加える水は必要量に充たない。粉の量に対して、水の量が絶対的に不足している。粉のひとつぶひとつぶにまで水が充分に行き渡らぬのは、考えてみれば当然のなりゆきである。
それにまた、かきまわす作業がなにがしかは進んでいるので、すでに水を吸った粉、まだ水を吸っていない粉が、複雑微妙に入り混じっている.じつは、これが問題なのである。そういうところに再度、水を加えたら、何が起こるか。
木鉢の中の粉は、再加水を必要とする箇所だけに限って足し水できる状態にはない。複雑微妙に入り混じっている。そこに再加水する以上、足し水は、水の足りないところに滲みこみもすれば、すでに充分に水を含んでいるところに、さらに余分な水が加わりたがることにもなる。つまりは水が平均せず、粉のひとつぶひとつぶにまんべんなく水分を含ませる、という水まわしのねらいから外れてしまう。
片倉康雄氏の経験に基づく記述は、堀金 彰(2004)によりその一部を証明されたことになります。
これらの知見を総合すると、一気加水は、少なくとも生粉打ちにおいては良いということです。片倉氏の言うように1分ではないかもしれませんが、現在の科学では3分で混ざり合っていることが確認されています。
そば粉と水の混合が3分で終了するということは、如何にこの時間を有効に使い、両者を混ぜ合わせるかが、水回しの神髄なのだと思われます。
3分は、カップヌードルが出来上がる時間で、ウルトラマンが地球で生きられる時間で、ボクシングの1ラウンドの時間です。長いようで短い、短いようで長い時間をどう使うのが善いかという疑問には、別の機会で検討することにします。
一気加水で私の手にはグローブのようなそば粉の塊が指先についています。きれいに落として粉をまとめて、ねりに入りました。この日の蕎麦は、切があまりうまくいかず、太いのと細いのが混在してました。でも、何故か自分の打ったそばはそれなりに美味しいのです。
3分は、カップヌードルが出来上がる時間で、ウルトラマンが地球で生きられる時間で、ボクシングの1ラウンドの時間です。長いようで短い、短いようで長い時間をどう使うのが善いかという疑問には、別の機会で検討することにします。
一気加水で私の手にはグローブのようなそば粉の塊が指先についています。きれいに落として粉をまとめて、ねりに入りました。この日の蕎麦は、切があまりうまくいかず、太いのと細いのが混在してました。でも、何故か自分の打ったそばはそれなりに美味しいのです。
(参考文献)
1988 片倉康雄 手打そばの技術―一茶庵・友蕎子 旭屋出版
一茶庵手打ち蕎麦プロ教室・蕎麦打ち(2016年1月21日確認http://www.pdsys.jp/soba/itsa-an-sobauchi.htm)
2009 熊田鴻 蕎麦打ちを科学する 第5回千葉県そば大学講座講演資料 発表資料 http://homepage3.nifty.com/kumatako/sobakagaku-siryousitu/sobautiwokagakusuru.pdf
2015 清水吉郎 そば打ちの技を科学する TOKYO蕎麦塾そば打ち教室 昭和産業(株)食品開発センター 第一開発グループ "http://homepage3.nifty.com/kumatako/tokyo-sobajyuku/sobautikai050612/waza-kagaku.html