1年越しで、とうとう宮古地区に、蕎麦を頂きに来ることができました。
昨年来、宮古に行ってみたいと思いながらも、宮古地区は山都駅から遠く、自動車が無いとなかなか行けない場所にあります。車があれば、そんなに遠くないので行けるのです。
最初に宮古に行こうと、山都駅に降りたのが、昨年の11月でした。山都駅前には何もなく、タクシーも居ませんでした。タクシーが居ないのは、たまたまだったようですが、この日は山都駅到着したら、すぐに宮古地区に向かわないと、帰れなくなるという状況でした。そのような折に、山都駅に着くとタクシーが居ないので、宮古地区への訪問を諦めました。
山都駅近郊にもいくつかそば屋があるので、山都そばをいただいて帰ろうと2店舗ほどお邪魔しました。この時に、山都駅近郊で行ってみたいと考えていた「蕎邑」さんはお休みでした。
2回目に山都を訪問したのは、今年の2月です。初回訪問時にお休みだった蕎邑さんへ伺うための訪問でした。この時は、最初から宮古地区への訪問は視野に入れていませんでした。真冬ですし、アポも取っていませんし、時間もないのが、その理由でした。蕎邑さんのことは、本ブログ(そば紀行(5)2016年2月7日)を参照ください。
はじめての宮古地区への訪問です。
宮古地区への訪問は、事前のアポ取りから始まりました。
入手していた山都そばの資料は、山都地区のHPから入手したものでしたが、その資料では12店舗が紹介されています。この資料を基に順に電話してアポ取です。ところが、「この電話は現在使用されていません。」というメッセージがいくつか。エッ、店を閉めているの?と。
最初に電話がつながった店舗では、「12月の初旬では、もう店を開けていない。」という返事。2店目に繋がった先は、「一人では、店を開けられないな。」と言う返事。トホホです。
やっとアポ取できたのは、「大下」さんでした。快く、「一人でも開けますよ。」とのことです。
折角行くのに、一店ではもったいないと、続けて数店舗に電話し、「権三郎」さんで、「どうしてもということであれば、店を開けます。」と言ったいただき、これで2店舗にアポが採れたのでした。
宮古に伺った際に入手した最新の店舗資料では、この地区の蕎麦店は、8店舗に減っていました。また、この後に伺った源三郎さんも、今年で店を閉めるかもしれないという情報を得ました。この地区も、高齢化で後を継ぐ方が減っているようです。
現在の残っている8店舗の中で、ソバの自家栽培をしているのは、「
大下」「
大上」「
権三郎」さんの3店舗のみです。
大下さんで、おかみさんとお話しして様々な情報を収集しました。
大下さんでは、宮古の在来種と会津のかおりを栽培しているそうです。在来種は、川の西側で栽培し、会津のかおりは東側での栽培だそうです。その理由は、以前は東側でも在来種を栽培しいたが、収量が少ないのだそうです。それゆえ、今では東側では会津のかおりを栽培しているそうです。大下さんでは、会津のかおりは、山都のそば店や、山都のそば製粉へ出荷しており、お店では宮古在来種のみを提供しているそうです。今以上の収量は期待できないが、1年間店で提供する在来種は栽培可能だそうです。現在、2町歩のソバ畑で栽培しています。
大下さんの蕎麦は、宮古在来種の玄そば挽きぐるみで、歩留まり65%だそうです。
店に入ると、最初に、さしみこんにゃく、鰊の煮物、山菜と鰊の炊き合わせ、漬物が出されます。
その後、1盛り目は、蕎麦と辛み大根が供されました。この辛み大根は、自家栽培だそうです。元々自然に生えた大根(自生原生種の大根)を、現在は、畑の端の畑ではないところで栽培しているそうです。水気は無いですが、微妙に辛く香りがあります。初めていただきましたが、普通の辛み大根とは異なり、荒々しさを感じる美味しい大根です。
そばつゆは、青首大根の摩り下ろしを加えた、高遠そばつゆを基本として供しているそうです。私は、このつゆ以外に大根を加えていないつゆもお願いして、食べ比べてみました。高遠そばつゆの方が、甘みを強く感じます。青首大根により、美味しいつゆは一層美味しくに変身するのだということを確認しました。
お代わりの2盛り目は、蕎麦と野菜のてんぷらが出されました。3盛り目は、頃合いを見計らい蕎麦だけがだされました。その後は、「もう少し食べますか?」と問われ、「もうお腹いっぱいです。」と。本当は、まだ食べられるのですが、もう一店予約していたので、後ろ髪引かれながらもお断りしました。
蕎麦は、少し太めのしっかりした蕎麦です。透明感があり、玄そば丸抜きですので、少し点があります。初めていただいた宮古在来種玄そば丸抜きの粗挽き湯ごね蕎麦は、これまでに経験したことのない蕎麦で、本当に美味しい蕎麦です。久しぶりに美味しいと思う蕎麦を頂戴しました。
この大下さんで修業をされたお二人が、大下さんの下流でお店をそれぞれ開いているそうです。
そちらにも、そば粉を提供しているそうです。
大下(おおしも)、大上(おおがみ)、川前(かわまえ)等の宮古地区の蕎麦店の屋号は、川の下(しも)、川の上(かみ)、川の真ん中の前(まえ)などの意味であったそうです。また、この地区の集落は、以前はもう少し川の上にあったそうですが、天災があり現在の場所へ下ってきたのだそうです。
また、そもそも、この地域の蕎麦は、家庭内で食されていた蕎麦が、村の外へ広がり、山都町内へ広がって発展していったようです。山都地域で蕎麦を供するようになった初めのころは、宮古の皆さんが山都で変わり番でそばを打って提供していたそうです。それが、元の村に戻りそれぞれの店ごとに蕎麦を提供するようになり、現在の宮古地区の蕎麦店に発展してきたというお話でした。色々と面白い歴史があるのですね。
いくつかある宮古地区の蕎麦店で、大下さんへ伺えたのは、大々正解であったようです。引きが良かったのか?偶然なのか?神っているのか?とても良いお店に辿り着けたと感じています。大下さんへは、来年も、また来たいと強く思います。
この宮古在来種のそば粉を3kgほど分けてもらい、打ち方を教えていただいて店を後にしました。
長くなりましたので、権三郎さんのことは別途記載したいと思います。
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そば前です |
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一盛り目は、原生種の辛み大根と高遠そばつゆで |
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お代わりは、野菜天ぷらと |
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透明感のある蕎麦は大変美味しいです |