江戸時代末期に創業した「手打 梅蕎麦」に行きました。
山形駅から山形南高校の少し手前のお店まで歩いて伺いました。結構寒い日で手は悴んでいます。
お店の中は2組のお客さんが居られました。二組共に、暖かい蕎麦を召し上がっています。
現在の店主は4代目だそうです。
本日の蕎麦は、デワカオリの自家での石臼挽きだそうです。
せいろは十割蕎麦で、柚木切はニ八の変わり蕎麦。せいろと柚木切の二色せいろがお薦めとありました。私は、十割蕎麦が楽しみに来たので、せいろをお願いしました。
待つこと数分です。
せいろが届きました。
蕎麦は超超の細麺です。ここまで細いのは松本の「御そば打処 野麦」です。激細といわれるお店ですが、その細さです。
山形の蕎麦は板そばが代表で、板そばを出すお店は、ほとんどが太麺から超太麺です。そんな山形蕎麦文化が主流の地で、細麺を提供し、4代目というのは凄いことなのだと感心します。
激細蕎麦は、麺の一本一本がバラケずに、まとまって箸にかかりますので、水切りが難しいと思います。かつ、茹でが非常に難しいと思います。野麦で2会食した際、本日の梅そばともに、茹でが緩い(4-5秒長い)と感じました。両店ともに超有名店です。梅そばは江戸時代末期からの4代目で、野麦は松本でベスト5に入るお店で、リピーターも多いお店です。この激細麺の少し柔らかい蕎麦がお好きな方も多いと思いますので、これは、好みの問題なのでしょうか???
蕎麦を打つようになって、何が美味しい蕎麦かを考えるようになりました。というより、それを求めてそば打ちを始めました。十割でもそばを激細に打つことは案外簡単です。しかし、最適な太さで美味しい蕎麦を打つことは難しいと感じています。
今から打つそば粉を、どの様な太さで、柔らかさで、長さで打つと、そば粉が生きるのかを見つめる旅に出て、2年半ですが、再考させられる一日でした。
この先は、このソバの実を、どんな粉(粉にしなくても良いのかもしれませんが)にして、・・・と続いていくのかなと、予感しています。
2016年12月7日水曜日
2016年11月30日水曜日
そば紀行(16) 山形県村山市 あらきそば
山形のそば店で有名な老舗のそば屋「あらきそば」に伺いました。
あらきそばのHPでは次のように記載れています。(HPからの引用)
山形県村山市でそば店を創業した、あらきそば初代、芦野勘三郎(写真上)は、その腕の良さから評判となり、昭和天皇弟(高松宮様)も、何度か彼のそばを食されました。
以前から一度は伺ってみたかったお店に、やっと行くことができました。
村山地区は、最近では日本酒「十四代」の蔵元(高木酒造)でも有名です。
この地区は、隣町の大石田地区の在来種とは異なり、デワカオリ等の最近のソバ種を使用しています。あらきそば店でも、デワカオリを使用しているそうです。
店は、茅葺屋根の民家で、店に入ると囲炉裏が迎えてくれます。
店内は、古民家の続きの広間にテーブルが並びます。
メニューは板ソバのみでした。大変大きな板にそばが薄く盛られています。そば量は、相当あると思います。伺わなかったですが、300gは楽にあると思います。
店主に伺うと、現在はデワカオリの玄そばをロールで挽いて、2%程度のつなぎを加えて、水で加水して打っているそうです。十割との記載を何かで拝見しましたが、現在は上記のようだそうです。
麺は、大変太い蕎麦でした。山形の板そばというブランドの代表として存在しているのかな?と思うほどの堂々とした蕎麦です。
この蕎麦と、江戸で出されてきた蕎麦とは、同じ材料を使用し、そば切りという点で共通していますが、食仕方は異なる物です。
大きな違いは、「噛む」と云う作業を、しっかり行わせるのが板そばで、1-2回噛んだ後にすぐに喉を通すのが江戸での蕎麦(以後、江戸蕎麦とします)です。
それゆえ、山形の板そばは、ゆっくりじっくり噛んで蕎麦の香りと味を楽しむそばです。一方で、江戸蕎麦は、喉越しが先にあり、蕎麦の香りを楽しみながら、味は少しだけ楽しむという食仕方になると思います。
この違いは、実は何処から来たのか大変興味深いと感じました。蕎麦の歴史や文化を鑑みて、次のような仮説が立つのではと思います。
昔の山形での蕎麦は、食事の主役として主食として食されてきました。もっと昔には、田舎の蕎麦は、お祝いごとの際に振る舞われたものですが、その際にも、主食として食されています。
一方で、江戸蕎麦も、食事のために提供されてはいますが、間食としての提供です。江戸時代に発展した蕎麦文化は、大勢の江戸の働き手のファーストフードとして発展しています。今のスターバックスのケーキ・クッキーのような扱いです。あるいは、牛丼やハンバーガーのような扱いでも良いのかもしれません。元々は、田舎の太くて噛む蕎麦でしたが、江戸での顧客ニーズに合わせて、時間をかけずに作ることができて、食せるように、細く呑み込みやすい長さの江戸蕎麦に変化したのではないでしょうか。サーと食べて、仕事に戻ると人たちに人気になったのは、噛まずに呑み込んで食し、喉越しを重視するように開発されてきたのかもしれないという仮説が立つと思いました。この仮説に立つと、十割蕎麦から二八への変遷の一つの理由になるかなと思います。
板そば です。
あらきそばのHPでは次のように記載れています。(HPからの引用)
大正9年創業 太く、強いコシのある当店のそばは、噛めば噛むほどに、そば独特の香りが口の中へ広がります。
100年守り続けた、そば本来の力強さ。是非、体感なさってください。
その後、2001年に文芸春秋より発刊された、「あらきそばの真髄 超極太生子打ちの秘伝を探る(里見真三著)」では、当店のそばの無骨さ、頑固さが語られております。
現在、創業約100年、そば打ち職人は4代目ですが、創業当時と変わらぬ建物、そばの作り方で、御来店をお待ちしております。以前から一度は伺ってみたかったお店に、やっと行くことができました。
村山地区は、最近では日本酒「十四代」の蔵元(高木酒造)でも有名です。
この地区は、隣町の大石田地区の在来種とは異なり、デワカオリ等の最近のソバ種を使用しています。あらきそば店でも、デワカオリを使用しているそうです。
店は、茅葺屋根の民家で、店に入ると囲炉裏が迎えてくれます。
店内は、古民家の続きの広間にテーブルが並びます。
![]() |
| 雪が降りました |
メニューは板ソバのみでした。大変大きな板にそばが薄く盛られています。そば量は、相当あると思います。伺わなかったですが、300gは楽にあると思います。
店主に伺うと、現在はデワカオリの玄そばをロールで挽いて、2%程度のつなぎを加えて、水で加水して打っているそうです。十割との記載を何かで拝見しましたが、現在は上記のようだそうです。
麺は、大変太い蕎麦でした。山形の板そばというブランドの代表として存在しているのかな?と思うほどの堂々とした蕎麦です。
この蕎麦と、江戸で出されてきた蕎麦とは、同じ材料を使用し、そば切りという点で共通していますが、食仕方は異なる物です。
大きな違いは、「噛む」と云う作業を、しっかり行わせるのが板そばで、1-2回噛んだ後にすぐに喉を通すのが江戸での蕎麦(以後、江戸蕎麦とします)です。
それゆえ、山形の板そばは、ゆっくりじっくり噛んで蕎麦の香りと味を楽しむそばです。一方で、江戸蕎麦は、喉越しが先にあり、蕎麦の香りを楽しみながら、味は少しだけ楽しむという食仕方になると思います。
この違いは、実は何処から来たのか大変興味深いと感じました。蕎麦の歴史や文化を鑑みて、次のような仮説が立つのではと思います。
昔の山形での蕎麦は、食事の主役として主食として食されてきました。もっと昔には、田舎の蕎麦は、お祝いごとの際に振る舞われたものですが、その際にも、主食として食されています。
一方で、江戸蕎麦も、食事のために提供されてはいますが、間食としての提供です。江戸時代に発展した蕎麦文化は、大勢の江戸の働き手のファーストフードとして発展しています。今のスターバックスのケーキ・クッキーのような扱いです。あるいは、牛丼やハンバーガーのような扱いでも良いのかもしれません。元々は、田舎の太くて噛む蕎麦でしたが、江戸での顧客ニーズに合わせて、時間をかけずに作ることができて、食せるように、細く呑み込みやすい長さの江戸蕎麦に変化したのではないでしょうか。サーと食べて、仕事に戻ると人たちに人気になったのは、噛まずに呑み込んで食し、喉越しを重視するように開発されてきたのかもしれないという仮説が立つと思いました。この仮説に立つと、十割蕎麦から二八への変遷の一つの理由になるかなと思います。
板そば です。
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| 板底が見えますが、大きな板です。ボリューム満点。 |
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| 割りばしの先の太さくらいです。 |
2016年5月19日木曜日
そば紀行(11) 神田 まつや
5月の連休に神田藪蕎麦に伺ったので、今回はご近所の神田まつやさんに伺いました。
両店ともに東京の老舗のお蕎麦屋さんですね。
多くの方がレポートされているので、今更紹介の必要はないと思いますが、簡単に触れておきます。まつやさんのおそばは、卵をつなぎにしてつないだおそばです。藪蕎麦さんはクロレラを加えたそばですので、麺体の色が緑色で、新そばの丸ぬき挽きぐるみそばの色合いに似ています。まつやさんのそばは、卵つなぎですので麺の色は緑色ではなく、黄色い蕎麦色になっています。
特に、今日はそれを強く感じました。その理由は、まつやさんに伺ったのが、午後4時過ぎで、丁度追い打ちをしていました。麺をのしていたので、麺の黄色を強く感じました。
さすがだなと思ったのは、もりそばの最後に残った1本が、普通の長さでした。20cmを切るような麺が盛りの器に1本もなかったということでした。かけも、同様に最後に丼に残ったのは、長い麺でした。
まつやは、昔からそうですが、ご近所のお客さんも多く、ゆっくりお酒をやりながらという方と、観光でお越しの方とが混在しています。さすがなのは、これらの方同士が同席にならないように気を遣われているようです。私は、藪蕎麦に続き、根岸の怪しいカップルと同席でした。どんな関係なのかと思いめぐらせながら、蕎麦を手繰り店を出ました。
まつやの昔から変わらない雰囲気を楽しんだ30分でした
そうでした、なぜまた神田須田町に来たかというと、淡路町の近江屋洋菓子店さんに、札幌新川そばの会の皆さんへのお土産を買いに来たのでした。こちらは、洋菓子の超老舗で、ここのクッキーが美味しかったので大ファンです。なぜ過去形かというと、今は、クッキーはなかなか手に入らない(滅多に作らないので)からです。しかし、他のケーキやパンが素朴でかつ美味しいので、折角だからと思い立ち、かつ、まつやも行きたいと、迷わず神田須田町&淡路町に向かったのでした。
両店ともに東京の老舗のお蕎麦屋さんですね。
| こちら側からは入れない。入口は反対側。 |
| 箸袋の裏側に |
さすがだなと思ったのは、もりそばの最後に残った1本が、普通の長さでした。20cmを切るような麺が盛りの器に1本もなかったということでした。かけも、同様に最後に丼に残ったのは、長い麺でした。
まつやは、昔からそうですが、ご近所のお客さんも多く、ゆっくりお酒をやりながらという方と、観光でお越しの方とが混在しています。さすがなのは、これらの方同士が同席にならないように気を遣われているようです。私は、藪蕎麦に続き、根岸の怪しいカップルと同席でした。どんな関係なのかと思いめぐらせながら、蕎麦を手繰り店を出ました。
まつやの昔から変わらない雰囲気を楽しんだ30分でした
そうでした、なぜまた神田須田町に来たかというと、淡路町の近江屋洋菓子店さんに、札幌新川そばの会の皆さんへのお土産を買いに来たのでした。こちらは、洋菓子の超老舗で、ここのクッキーが美味しかったので大ファンです。なぜ過去形かというと、今は、クッキーはなかなか手に入らない(滅多に作らないので)からです。しかし、他のケーキやパンが素朴でかつ美味しいので、折角だからと思い立ち、かつ、まつやも行きたいと、迷わず神田須田町&淡路町に向かったのでした。
2016年5月4日水曜日
そば紀行(10) 神田 藪蕎麦
神田藪蕎麦に5月の連休に伺いました。
大学院の同級生が会社を立ち上げて頑張っているので激励に神田に行き、少し時間があったので、新店舗になった神田藪に立ち寄ることにしました。
藪蕎麦 新店舗になり始めてで、東京に住んでいたころに、旧店舗には何度か伺いました。そのころは、そばは好きでしたが、今のように貪欲に美味しいそばを求めていると言う訳ではなかったので、誘われるままに何度か伺った程度でした。
新しい店舗は、旧店舗を思い出させるような、前の店舗を踏襲して再建しようという意思が見られるお店でした。建屋の造りが違いますので、入口とテーブルの関係や、おかみさんの立ち位置との配置等、色々と異なってはいますが、店の雰囲気等は同じようです。
店の前に伺うと、数名の行列ができていましたが、通常のお昼時に比べるとさほど多いとはいえませんでしたので、並んで入ることにしました。外国籍のお客さんが増えたなと言うのが第一印象でした。5月の連休中でしたので、ビジネス関連お客さんは見られず、観光の方が多かったようです。
お願いしたのは、「せいろ」と「かけ」です。辛汁と甘汁両方を確認したいので、そば屋に行くとどうしてもこうなります。神田藪蕎麦のそばの方は、昔からの特有のつなぎを使用して緑色にしているそばですので、特段興味がある訳ではありません。汁のほうは、そばを学びだして色々な店のつゆを研究しているので、神田藪のつゆを再確認しておきたいという目的があります。
店内は、満席ですのでそばが出るまでに15分くらい待ちました。丁度通された席が調理場が見えるところでしたので、窯前の方や中で働く方を観察できましたので、待ち時間はあっという間でした。一度に相当の枚数のそばを茹でるのですね。また、途中で差し水をされていることも確認できましたし、大体の茹で時間も確認できました。待ち時間もそれなりに楽しいものです。
もりを先に出してもらい、かけが後からというお願いをしておりました。どのタイミングでかけが出て来るのかが大変楽しみでしたが、さすがに神田の薮蕎麦です。もりのせいろにそばが2箸程度残っているタイミングでかけが出され、最後の箸でもりそばをつまむと、せいろとかけの丼を入れ替えてくれました。タイミング、出し方がさすがに藪蕎麦と思わせるものでした。ついでに、麺の量は、もりならば薄く1層から2層で麺が盛られていますので、一箸で麺を括ると、下の笊面が見えるというほど、少ない量です。これも、昔と変りません。
辛汁と甘汁のだしは、別のだしを使用していることが確認できました。甘汁の方は、だしの広がりが大きいので、鰹だけでなく他のだし材を使用していることが確認できました。
あっという間にもりとかけを食べ終えて店を後にしました。
ごちそうさまです。
大学院の同級生が会社を立ち上げて頑張っているので激励に神田に行き、少し時間があったので、新店舗になった神田藪に立ち寄ることにしました。
藪蕎麦 新店舗になり始めてで、東京に住んでいたころに、旧店舗には何度か伺いました。そのころは、そばは好きでしたが、今のように貪欲に美味しいそばを求めていると言う訳ではなかったので、誘われるままに何度か伺った程度でした。
新しい店舗は、旧店舗を思い出させるような、前の店舗を踏襲して再建しようという意思が見られるお店でした。建屋の造りが違いますので、入口とテーブルの関係や、おかみさんの立ち位置との配置等、色々と異なってはいますが、店の雰囲気等は同じようです。
店の前に伺うと、数名の行列ができていましたが、通常のお昼時に比べるとさほど多いとはいえませんでしたので、並んで入ることにしました。外国籍のお客さんが増えたなと言うのが第一印象でした。5月の連休中でしたので、ビジネス関連お客さんは見られず、観光の方が多かったようです。
お願いしたのは、「せいろ」と「かけ」です。辛汁と甘汁両方を確認したいので、そば屋に行くとどうしてもこうなります。神田藪蕎麦のそばの方は、昔からの特有のつなぎを使用して緑色にしているそばですので、特段興味がある訳ではありません。汁のほうは、そばを学びだして色々な店のつゆを研究しているので、神田藪のつゆを再確認しておきたいという目的があります。
店内は、満席ですのでそばが出るまでに15分くらい待ちました。丁度通された席が調理場が見えるところでしたので、窯前の方や中で働く方を観察できましたので、待ち時間はあっという間でした。一度に相当の枚数のそばを茹でるのですね。また、途中で差し水をされていることも確認できましたし、大体の茹で時間も確認できました。待ち時間もそれなりに楽しいものです。
もりを先に出してもらい、かけが後からというお願いをしておりました。どのタイミングでかけが出て来るのかが大変楽しみでしたが、さすがに神田の薮蕎麦です。もりのせいろにそばが2箸程度残っているタイミングでかけが出され、最後の箸でもりそばをつまむと、せいろとかけの丼を入れ替えてくれました。タイミング、出し方がさすがに藪蕎麦と思わせるものでした。ついでに、麺の量は、もりならば薄く1層から2層で麺が盛られていますので、一箸で麺を括ると、下の笊面が見えるというほど、少ない量です。これも、昔と変りません。
辛汁と甘汁のだしは、別のだしを使用していることが確認できました。甘汁の方は、だしの広がりが大きいので、鰹だけでなく他のだし材を使用していることが確認できました。
あっという間にもりとかけを食べ終えて店を後にしました。
ごちそうさまです。
2016年3月6日日曜日
そば紀行(7) 並木藪蕎麦
老舗の並木藪蕎麦です。
前日に、山形県鶴岡市の雪の中のニューウェーブそば店から、東京下町の超老舗の浅草の並木藪蕎麦に伺いました。そば粉十割で、卵つなぎで提供される蕎麦がどんなものなのか大変興味があります。また、3箸半でなくなる蕎麦の量と、辛いと言われるそば汁を経験してみたいとの思いで伺いました。
浅草雷門前の並木藪蕎麦の前は、行列ができていました。こんなに混んでいるのですね。
中を覗くと、驚いたことに高校生の団体が7割ほどの席を占めています。修学旅行なのかなと思います。浅草ですので元々観光地で、加えて、東京スカイツリーにも近いですので、最近は浅草界隈が修学旅行コースになっているのかもしれません。
数分待ち、席に着くと、私は席に着くなり、ざる蕎麦を頼みました。
私が通された席は相席で、隣の年輩の方は蕎麦前で焼き海苔、板わさ、天ぷらで一杯やっています。向かいの二人は、何やら怪しい男女で、想像するに地方から東京に旅行で来られたのだと思います。二人は、「東京の(江戸の)蕎麦は良いね、私たちには醤油が濃いという文化が無いからね。」と言う会話が勝手に私の耳に飛び込んできます。これが、東京の老舗蕎麦屋の風景なのですね。別のテーブル席では、高校生諸氏が大盛天ぷら蕎麦をほおばっています。こちらは、「この天ぷらエビが一杯だね。」と。
前日の山形県月山の麓の蕎麦屋と、今目の前で展開されている蕎麦屋の状況の違いは、蕎麦屋では、その環境で大きな違いがあるなと思いめぐらせていました。すると、ざる蕎麦が運ばれてきました。
この量が3箸半かと感心です。本当に少ないです。茹であがりで110から120g程度ではないかと思います。前日のそば店の3分の1程度の量です。麺は1.2mm~1.3mm程度にきれいに揃えられています。手で切った麺ではないことは明らかです。 相当以前より並木藪蕎麦では、十割そばで卵繋ぎで、手こね、機械のし、機会切りと、堀田平七郎さんの本に記載されています。
汁は確かに辛いです。蕎麦下3cmに汁をつけてたぐると、最後に汁の辛さを感じます。辛いからこそ、汁を一杯つけられないので、そばの味と香りを感じた後に、汁の塩気と甘みを感じます。この蕎麦の味が先で汁を後から感じることで、蕎麦を感じるのでしょうね。江戸末期から、蕎麦の辛汁が辛い(濃い)理由は、蕎麦と汁を別々に感じさせ、最後に統合させる食べさせ方として開発されたものなのでしょう。確かに汁は辛いけど、美味しいそば汁でした。そば湯で割ると、その辛さが強いことを一層感じました。
私が現在作っている辛汁は、この並木藪蕎麦の辛汁と、室町砂場の辛汁、有楽町更科の辛汁、大西さんの辛汁、かないまるさんの辛汁のかえしの配分と、だしの成分を基に、色々試しながら現在二つの辛汁が出来上がっています。切れの良い辛汁と、旨みが高い辛汁の二種類です。どちらも美味しくなりました。この二つの辛汁を使って、産地が異なソバにどちらの辛汁が合うのかを検討しているところです。まだまだ、結論が出ません。様々な産地のソバを使って研究し、色々なお店に伺いながら辛汁と蕎麦の相性を経験しながら研究していけば良いと考えています。そのうちにこれというのが見つかるかもしれません。
前日に、山形県鶴岡市の雪の中のニューウェーブそば店から、東京下町の超老舗の浅草の並木藪蕎麦に伺いました。そば粉十割で、卵つなぎで提供される蕎麦がどんなものなのか大変興味があります。また、3箸半でなくなる蕎麦の量と、辛いと言われるそば汁を経験してみたいとの思いで伺いました。
浅草雷門前の並木藪蕎麦の前は、行列ができていました。こんなに混んでいるのですね。
中を覗くと、驚いたことに高校生の団体が7割ほどの席を占めています。修学旅行なのかなと思います。浅草ですので元々観光地で、加えて、東京スカイツリーにも近いですので、最近は浅草界隈が修学旅行コースになっているのかもしれません。
数分待ち、席に着くと、私は席に着くなり、ざる蕎麦を頼みました。
私が通された席は相席で、隣の年輩の方は蕎麦前で焼き海苔、板わさ、天ぷらで一杯やっています。向かいの二人は、何やら怪しい男女で、想像するに地方から東京に旅行で来られたのだと思います。二人は、「東京の(江戸の)蕎麦は良いね、私たちには醤油が濃いという文化が無いからね。」と言う会話が勝手に私の耳に飛び込んできます。これが、東京の老舗蕎麦屋の風景なのですね。別のテーブル席では、高校生諸氏が大盛天ぷら蕎麦をほおばっています。こちらは、「この天ぷらエビが一杯だね。」と。
前日の山形県月山の麓の蕎麦屋と、今目の前で展開されている蕎麦屋の状況の違いは、蕎麦屋では、その環境で大きな違いがあるなと思いめぐらせていました。すると、ざる蕎麦が運ばれてきました。
この量が3箸半かと感心です。本当に少ないです。茹であがりで110から120g程度ではないかと思います。前日のそば店の3分の1程度の量です。麺は1.2mm~1.3mm程度にきれいに揃えられています。手で切った麺ではないことは明らかです。 相当以前より並木藪蕎麦では、十割そばで卵繋ぎで、手こね、機械のし、機会切りと、堀田平七郎さんの本に記載されています。
汁は確かに辛いです。蕎麦下3cmに汁をつけてたぐると、最後に汁の辛さを感じます。辛いからこそ、汁を一杯つけられないので、そばの味と香りを感じた後に、汁の塩気と甘みを感じます。この蕎麦の味が先で汁を後から感じることで、蕎麦を感じるのでしょうね。江戸末期から、蕎麦の辛汁が辛い(濃い)理由は、蕎麦と汁を別々に感じさせ、最後に統合させる食べさせ方として開発されたものなのでしょう。確かに汁は辛いけど、美味しいそば汁でした。そば湯で割ると、その辛さが強いことを一層感じました。
私が現在作っている辛汁は、この並木藪蕎麦の辛汁と、室町砂場の辛汁、有楽町更科の辛汁、大西さんの辛汁、かないまるさんの辛汁のかえしの配分と、だしの成分を基に、色々試しながら現在二つの辛汁が出来上がっています。切れの良い辛汁と、旨みが高い辛汁の二種類です。どちらも美味しくなりました。この二つの辛汁を使って、産地が異なソバにどちらの辛汁が合うのかを検討しているところです。まだまだ、結論が出ません。様々な産地のソバを使って研究し、色々なお店に伺いながら辛汁と蕎麦の相性を経験しながら研究していけば良いと考えています。そのうちにこれというのが見つかるかもしれません。
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