あらきそばのHPでは次のように記載れています。(HPからの引用)
大正9年創業 太く、強いコシのある当店のそばは、噛めば噛むほどに、そば独特の香りが口の中へ広がります。
100年守り続けた、そば本来の力強さ。是非、体感なさってください。
その後、2001年に文芸春秋より発刊された、「あらきそばの真髄 超極太生子打ちの秘伝を探る(里見真三著)」では、当店のそばの無骨さ、頑固さが語られております。
現在、創業約100年、そば打ち職人は4代目ですが、創業当時と変わらぬ建物、そばの作り方で、御来店をお待ちしております。以前から一度は伺ってみたかったお店に、やっと行くことができました。
村山地区は、最近では日本酒「十四代」の蔵元(高木酒造)でも有名です。
この地区は、隣町の大石田地区の在来種とは異なり、デワカオリ等の最近のソバ種を使用しています。あらきそば店でも、デワカオリを使用しているそうです。
店は、茅葺屋根の民家で、店に入ると囲炉裏が迎えてくれます。
店内は、古民家の続きの広間にテーブルが並びます。
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雪が降りました |
メニューは板ソバのみでした。大変大きな板にそばが薄く盛られています。そば量は、相当あると思います。伺わなかったですが、300gは楽にあると思います。
店主に伺うと、現在はデワカオリの玄そばをロールで挽いて、2%程度のつなぎを加えて、水で加水して打っているそうです。十割との記載を何かで拝見しましたが、現在は上記のようだそうです。
麺は、大変太い蕎麦でした。山形の板そばというブランドの代表として存在しているのかな?と思うほどの堂々とした蕎麦です。
この蕎麦と、江戸で出されてきた蕎麦とは、同じ材料を使用し、そば切りという点で共通していますが、食仕方は異なる物です。
大きな違いは、「噛む」と云う作業を、しっかり行わせるのが板そばで、1-2回噛んだ後にすぐに喉を通すのが江戸での蕎麦(以後、江戸蕎麦とします)です。
それゆえ、山形の板そばは、ゆっくりじっくり噛んで蕎麦の香りと味を楽しむそばです。一方で、江戸蕎麦は、喉越しが先にあり、蕎麦の香りを楽しみながら、味は少しだけ楽しむという食仕方になると思います。
この違いは、実は何処から来たのか大変興味深いと感じました。蕎麦の歴史や文化を鑑みて、次のような仮説が立つのではと思います。
昔の山形での蕎麦は、食事の主役として主食として食されてきました。もっと昔には、田舎の蕎麦は、お祝いごとの際に振る舞われたものですが、その際にも、主食として食されています。
一方で、江戸蕎麦も、食事のために提供されてはいますが、間食としての提供です。江戸時代に発展した蕎麦文化は、大勢の江戸の働き手のファーストフードとして発展しています。今のスターバックスのケーキ・クッキーのような扱いです。あるいは、牛丼やハンバーガーのような扱いでも良いのかもしれません。元々は、田舎の太くて噛む蕎麦でしたが、江戸での顧客ニーズに合わせて、時間をかけずに作ることができて、食せるように、細く呑み込みやすい長さの江戸蕎麦に変化したのではないでしょうか。サーと食べて、仕事に戻ると人たちに人気になったのは、噛まずに呑み込んで食し、喉越しを重視するように開発されてきたのかもしれないという仮説が立つと思いました。この仮説に立つと、十割蕎麦から二八への変遷の一つの理由になるかなと思います。
板そば です。
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板底が見えますが、大きな板です。ボリューム満点。 |
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割りばしの先の太さくらいです。 |
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